Thursday, February 2, 2012
米議会調査部の10年の調査によると、アトランタにあるカーター元大統領の事務所の家賃は年間10万2000ドルに上る。またヒューストンにあるジョージ・H・W・ブッシュ元大統領の事務所の家賃は年間17万5000ドル、さらにニューヨーク市のクリントン元大統領の事務所は51万6000ドルといった具合。いずれも高級物件ばかりだ。

しかし、税金で賄われているこれらの特典も、元大統領たちが本の執筆で稼ぐ巨額の印税に比べたら、たいしたことはない。

クリントン元大統領は著書「My Life(邦題:マイライフ クリントンの回想)」の執筆に際し、前金で1500万ドルを受け取った。ジョージ・W・ブッシュ前大統領も著書「Decision Points(邦題:決断のとき)」の初版150万部で700万ドルを稼いだ。カーター元大統領もこれまでに14冊の本を執筆している。
CNN.co.jp:米大統領は辞めてから稼ぐ、元大統領たちの知られざる懐事情 - (1/3)
少ない労力で大金を稼ぐには講演が手っ取り早い。そして、「演壇に君臨する国王」と言えるほど講演で稼いでいるのがクリントン元大統領だ。

01年の退任直後、クリントン元大統領の1回分の講演料は12万5000ドルだった。これは元大統領に支払われる講演料としては極めて標準的な額だ。

クリントン元大統領は以前「私は大統領を辞めるまで、一文無しだった。しかし、大統領を辞めた後、そこそこ稼げるようになった」と語ったことがある。しかし、これは大変控えめな表現だ。クリントン氏の妻のヒラリー・クリントン国務長官の最新の資産公開によると、01年以降、クリントン氏は世界中の企業や団体への講演で7560万ドルを稼いでいる。

またジョージ・W・ブッシュ氏も退任後、講演で1500万ドルを稼いだとみられている。

しかし、すべての大統領が退任後に金持ちになったわけではない。
CNN.co.jp:米大統領は辞めてから稼ぐ、元大統領たちの知られざる懐事情 - (2/3)

竹森 最低水準はキープして、すごく安く作るということを考えるときに、何がカギになるんでしょうか。そういう制約を抱えた中で製品を造る際には、全体の設計が必要だということでしょうか。

藤本 それをバリューエンジニアリングと言います。工学的な意味で、「価値=機能÷コスト」という式があります。お客さんは機能を買うんだから、機能を一定にしながらコストを下げていく。例えばボルト3本で留めていた部品を、同じ機能がボルト2本でできると分かれば2本に減らす。

 日本の高級車は、1990年代初めには1台あたり5000本ぐらいのボルトを使っていました。今は4000本を切っているでしょう。1000本以上減らしているんです。こういうバリューエンジニアリングをやっていくのが日本の得意技です。地道にこれをやる。機能を犠牲にしないでより安く作る。

 トヨタはこれを円高ショックの1993年ごろから、「バブルのあか落とし運動」とか言って続けました。彼らの言う数字では(これは部品メーカーを泣かせることも含めてでしょうが)、年間1000億円ずつ削減しました。これを10年間ずっとやったのです。

 そして、10年後の2002年にトヨタは1兆円の利益を出しました。ところが片方でデータを見ると、今言ったように、年間1000億円はバリューエンジニアリング、あるいはバリューアナリシスでコストを下げましたと言っている。

 僕はトヨタさんの本社の幹部に言いました。設計が頑張って、1000億円×10年で1兆円コストダウンしたのに、利益が1兆円ということは、本社の人たちは何をやっていたんですか、ほとんどこれは現場の頑張りじゃないですかと。そうしたら、本社の人は、「お前には言われたくないけど、その通りだ」という言い方をしていました。

「電気自動車で一発逆転」はあるか?:日経ビジネスオンライン

この対談、本当に面白い。

(via kashino) (via msnr)

そしてバリューエンジニアリングによって耐用年数のコントロールもできます。それが資源制約を受ける21世紀のエコノミーにとって正しいことなのかは、私には分かりません。

(via tekusuke)

結局これって,部品を減らしてコストを削減するわけだから,余裕がなくなっていくわけで,つまりそれだけ品質も下がっている可能性があると理解すれば良いのかな.そこまで悲観的に考えなくて良いのだろうか.

(via cyberperiscope)

経年劣化が加速するのはかなりガチだと思います。あと個別部材への要求水準が上がるので、そこでエラー(理論値を下回る性能しか得られないことが「後で」分かった、など)が発生した場合のダメージも大きくなります。

ゆえに、部材メーカーに求められる信用能力の水準が上がって、結局大手のヘゲモニーの下に入らざるを得なくなるわけですが、会社が大きいことと会社に能力があることは独立なので、値段は叩かれるは、生産管理はできないわ、みたいなことがあちこちで頻発すると、否応なく経営の柔軟性(=大手のわがままに追従していける能力)が必要になって、あれこれって非正規雇用の話でしたっけ?ということになります。

(via tekusuke)

単純なMTBF論では語れないですねえ.結局しわよせは工程の末端に来るのも日本的といえば日本的.

(via cyberperiscope)

(via otsune) (via vmconverter) (via jacony)

2009-07-01

(via gkojay) (via anexile)
さらに鎌倉幕府の成立年はいつかと問うてみよう。昨今これに諸説があることが話題になる。諸説あり、折衷説としては、ある一時期に成立したのではなく段階的に成立したという、結果的に歴史観をナンセンスに帰す説明が与えられることもある。従来は1192年と言われたものだ。「イイクニ作ろう鎌倉幕府」である。この年は何を意味しているかといえば、 頼朝が天皇から征夷大将軍に任じられた年である。つまり、それは天皇を国家の最高権威とする天皇史観にすぎない。別解に1185年の文治の勅許があるが、それもまた天皇史観に過ぎない。日本史と名付けられた叙述のそこここに天皇史観が埋め込まれている。天皇史観は右派の作為のようでもあるが、同時に天皇を敵視した左派の史観でもある。天皇から考えるをやめて、現実の王権から日本史を見据えたらどうなるのか。
 本書は鎌倉幕府の成立年について「一一八〇(治承四)年十月六日。それ以外にはあり得ない」と確言する。 それは王権から日本史を見た姿だ。頼朝が東国御家人を従えて鎌倉に入ったとき、彼は王になり、鎌倉幕府は成立した。
[書評]武士から王へ - お上の物語(本郷和人): 極東ブログ (via jinon)
本書は、中世以降、皇位は誰が決めたのかと問い、武家であると答える。義務教育の範囲の歴史知識でも単純に答えられることだと単純に思う人もいるだろう。しかし、では、承久の乱の結末をどう見るか。天皇は退位させられ、上皇や皇子たちは流刑に処せられたが、天皇や上皇の罰則規定を誰が持っていたのか? やはり武家である、と答えられるだろうか。乱後の皇位を決めたのも武家であり、武家が皇統を決めているのである。そうすっぱりと答えることができただろうか。
 本書はこうも問う、皇位を兄弟が争うのは珍しいことではないが、鎌倉時代後半の時代に限ってなぜ二系の皇統が併存したのか? これも義務教育の歴史で答えられるようにも思えるが、その本質を、武家が制御していたからだときっぱりと言えるだろうか。武家は皇統を分割統治していたとシンプルに日本史を理解できていたのだろうか。皇統は武家に制御され、自律性はない。武家が日本国の王だったであり、標題の「武士から王へ」につながる。その明白さを、なにかが眩ませているのではないかと、本書を読みながら気づかされる。
[書評]武士から王へ - お上の物語(本郷和人): 極東ブログ (via jinon)
先日、東京でやっているミレー展をつきあいで見に行った。絵そのものは趣味じゃないんだけれど、ぼくがおもしろいと思ったのは、こうした絵画がかつて人気を博した理由のほうだった。ちょうど経済力をつけてきていた一般農民や市民たちが、自分たちの姿が描かれているのを見たがったからだ、という話だ。 diatxt. 連載 #2 (via thinkeroid)
  • 仏高級紙・フィガロ記者のレジス・アルノーは「高い建物を建てること=進歩」という考え方は時代遅れであり、「途上国の専売特許」であるとして東京スカイツリーが日本の進歩どころか衰退のシンボルに思えてならないと批判している[90]
  • 東京スカイツリー - Wikipedia (via junmyk)
    いい映画が小説よりも面白いのは登場人物の心が言葉で示されないこと(ダメな映画は独白が多い)。時に心と逆のことを言ったりするから真意が見えにくい。だから面白いし勉強になる。実人生もそうだから。 町山智浩 (TomoMachi) on Twitter (via yasunao)

    2010-03-31

    (via gkojax-text)

    「あんたのことは理解できない。将来のことを考えたことはないのかい。どうして知性あふれる人間が安心感なしで生きられるんだろう」

    私は真面目に答えた。

    「信じられないでしょうが、私の将来はあなたの将来より、ずっと安全です。あなたは農場が安全な生活を保障してくれると考えています。でも革命が起こったら農場はなくなりますよ。

     一方、私は季節労働者ですから、何も心配することはありません。通貨と社会体制に何が起ころうが、種まきと取り入れは続くでしょうから、私は必要とされます。絶対的な安定が欲しいなら道楽者になって、季節労働者として生計を立てる方法を学ぶべきでしょうね」

    よくできた冗談のように思え、二人とも笑った。

    エリック・ホッファー 『エリック・ホッファー自伝』 (via do-nothing)
    ソニーでもパナソニックでもいいけれども、小さなカメラで何かを撮ってごらん。私たちが昔、16ミリでも高すぎてできなかったことが、今はできる。同時録音もほとんど録れなかった、今はそれができる。好きなように撮影ができる。最初は、あなたの一日を撮ってみなさい、このように言います。朝起きてから、夜寝るまで、そして夜も夢を見ている。その一日を撮りなさい、本当のあなたの一日を撮ってみなさい。警察に話すようなやり方ではいけない。朝起きて、歯を磨いて、コーヒーを飲んで、仕事にいって、友達と会って話して、それから寝た、これは本当のあなたの一日ではない。本当のあなたの一日を語るように試してみなさい、こういう風に言います。カメラを使って、映像と音を採って、本当の一日を果たして語ることができるのかどうか。採ってみたら、本当の一日は語れないということがわかる。自分にはできない、本当の一日がこのカメラで語れないとわかったら、ハリウッドに行きなさい。ハリウッドでは受け入れてもらえるだろう(笑)。しかし、もしも自分が本当の一日を撮れたと思うなら、友達やお母さん、あるいは身近な人に見せなさい。見てもらって、果たして映画館の入場料と同じ十ドルを、これに対して払うことを受け入れてくれるかどうか聞きなさい。おそらく、観客は、自分に本当に近い人であっても、あなたの本当の人生にはまったく興味がないことがわかるでしょう。そうすれば、本当の映画とは何かという問題提起をはじめることができるから、二本目では、少し成功する機会が出てくるかもしれない。こういう風に言います。

    ジャン=リュック・ゴダール「インタビュー〈3〉」

    2009-07-04

    (via pinto, tscp) (via aosakana) (via nemoi) (via dannnao)

    (via yotta1000) (via konishiroku)
    金があるということの意味は、物が買えるという点にとどまるものではない。それは、自分が世界から影響されずに済むということでもあるのだ。いいかえれば、快楽ではなく、防御という意味における富。金のない子供時代を送り、ゆえに世界の気まぐれに翻弄されつづけてきた父にとって、富という概念は逃避という概念と同義になっていた。危害からの逃避、苦しみからの逃避、犠牲者の立場からの逃避。父は幸福を買おうとしていたのではない。不幸の不在を買おうとしていたのだ。金こそその万能薬だった。人間としての父のもっとも深い欲望、もっとも言いあらわしがたい欲求の具現物だった。父は金を使うことを欲しなかった。金をもつこと、金がそこにあるのを味わうことを欲した。つまりは不老不死の霊薬としてではなく、解毒剤としての金。ジャングルに出かけるときにポケットに忍ばせておく小さな薬壜(くすりびん)――毒蛇に嚙まれたときの用心。

    ポール・オースター『孤独の発明』(柴田元幸 訳) - つれづれ (via ginzuna)

    ■ すごく理解できる感覚。

    (via arcadia-art-t)

    西アフリカのボンゴ族の男たちは裸の女性には興味をもちません。彼らは、服を着た女性の姿に性的刺激を受けるのです。だからボンゴ族の女性は男性を刺激しないように普段は裸で生活。彼女達は性的な儀式や踊りのような特別の場合だけ、男性を性的に興奮させるため、服を着ます。

    (34) Tumblr

    レベル高い

    (via yasunao)

    レベル高いわ

    (via appbank)

    (Source: 1oyenmanzyu)

    このためデビッド・カープはTumblrが性急に黒字化の道を歩むことには反対で、現在もビジネス・モデルが無いままにユーザー数の増加だけを追求しています。

    シリコンバレーの価値観におもねることなく我が道を行くTumblr(広瀬隆雄) - BLOGOS(ブロゴス)

    なんてかっこいいんだ

    (via mitaimon)

    誰も言わない事だが、ここであえて指摘しておく。20世紀の中盤まで、このような組織内圧力のビンのふたの役割をしていたものが社会にあった。それは、米国における「人種」、英国における「階級」である。有色人種に生まれたら、労働者階級に生まれたら、もう上には行けない。黒人や下層階級だから安心して部品扱いしていたのである。彼ら大多数の人間は、自分らしさを求めたければ、職場ではなく別のところで(それはスポーツだったり音楽だったり宗教だったりするわけだが)探すしかなかった。

    そのような社会感覚は、’70年代を境に崩れつつある。無論、まだ厳然と残ってはいるが、もはや南部のプランテーションで黒人奴隷を使っていた時代には戻れないのだ。奴隷だった一人一人が、自分も能力を得てリーダーシップを発揮したい、と主張しはじめた。とうとう大統領まで黒人になった(オバマ氏は正確には黒人と白人のハーフだが、米国では誰もが彼を黒人と見ている)。
    タイム・コンサルタントの日誌から : 契約社会がリーダーシップを必要とする理由 (via ginzuna)